ベルリン幼稚園

ベルリンでの日常と子育て

Aちゃんの日本語

この頃、Aちゃんのドイツ語がどんどん強くなり、それに押されて日本語が弱くなってきている。前に覚えてた単語(きりんとか)も忘れていたりするし、子供って覚えるのは早いけど、忘れるのも早いのね、、と実感してます。

 

日本語を話すときに、「えっと、えっと」という間投詞が多く入り、ドイツ語より明らかに出が遅い。それでちょっとイライラしているよう。

 

この間は階段を降りるときに、「一つの手に物を持っていて、もう一つの手では手すりを持っているから手をつなげない」というのが日本語でうまく言えなかったらしく、「ドイツ語ではね」と前置きを日本語でしてからドイツ語でそれを言っていた。

 

私と話すのと、一週間に一度の日本語補習校では時間が足りないので、何をやっていけばいいかな。とりあえず今意識しているのは、

 

・日本語環境のお友達と会うのをふやす。

 

・読み聞かせ、日本語ビデオ鑑賞時間の増加

 

・習い事はなるべく日本語で。

 

・私と一緒に家にいる時はできるだけ一緒に遊ぶ。意識して新しい単語を導入する。

 

むー、他に何ができるかな・・・。

そろそろひらがなも導入していきたいところだし。

今度の帰国の際には、幼稚園体験入学もしてみたいから、そろそろ探し始めないと。

保護者面談

AちゃんのKita(幼稚園)で、一年一回の保護者面談があったので行ってきました。

Entwicklungsgespräch(発達に関する面談)と言って、保母さんが普段観察したことを、社会性、自律性、運動能力、言葉の発達などのテーマにわけて話してくれます。

 

以下覚え書き

 

社会性

・Aちゃんは、Kitaでは、とてもおとなしく、控えめ。他の子がしていることを観察していることが多い。Kitaにはとても楽しく通っている。

 

・いつもは大体後ろの部屋で遊んでいる。一番好きなのは、ごっこ遊び(Rollenspiel)。お店やさんごっこをしたり、キッチンであそんだり、変身ごっこも好き。一つの遊びの時間はやや短い。遊び終わった後は、他の子を観察している。

もう少し、みんなと一緒に遊べるようになるといい。

 

自分の意思を表現するのがまだ少しむずかしい。これくらいの年齢から、子どもたちは一緒に遊び始める。何をして遊ぶのか、お互いに話し合って決める。Aちゃんは、自分の思い通りに行かないと、その場を去ってしまう。これでは1人になってしまうので、あまり良いやり方ではない。他の子どもと話し合える方がいい。年下の子どもとはうまくいくが、同い年、年上の子だと自分の意思を通すのが難しい。まだ、なにか「問題」がある場合に、それを解決するための「戦略」をたてられていない。Kitaでは、泣くのはあまり役に立たないことは、もうわかっている。なにがあったのか、だれが何をしたのか、自分はこうした、なんでうまくいかないのか、どうしたら解決できるのかということをまだうまく表現できない。

 

Fちゃん、Aちゃんとよく遊んでいる。Kちゃんとは動きが大きいので面白がるが、摩擦も多い。摩擦は子供には大事。そこから、どこで線を引かなくてはいけないのか(それは嫌だ、というなど)、どんなときに一緒に遊ぶのか、という事を学べる。Aちゃんは、もっと色々試すといい。たくさん摩擦を通じて練習すること。摩擦は成長を意味する。Kitaではそうやって社会性を学んでいく。それには(大人の)補助、励ましが必要。なぜなら、他の子がまだAちゃんを「とても小さい子」と認識しているから。体の大きさもあるが、ジェスチャーもある。他の子から「Aはまだそれはできないよ!」といわれると、もっと自分を小さくする。

 

Aちゃんには、もっと自分から率先してやることが必要。自分から、「これをやってみよう」ということ。これがまだ難しい。このことから、実際にはもうそんなに小さくないし、いろんなことができるにもかかわらず、グループの中で、「Aちゃんはまだ小さい子」という認識になる。

 

妥協をすることはまだ難しい。自分の思った通りに物事が進まない時に、何か他の選択肢を取ることができない。その場を去ってしまう。この態度だと、大きい子に対してだけでなく、小さい子と遊ぶ時も難しい。去ってしまうのは、残念。「じゃあ、こうやってやろう!」と言えるようになってほしいし、自分がやりたいことをもっとうまく言えるようになってほしい。言語的にはできるはず。問題は、自分自身が「まだ小さい」と思っていること。「Aはまだ小さい。まだできない」とよくいう。自分より、他人を信用している。他の人がやってくれるのを待つより、自分でやろう、と思えるようになってほしい。

 

・この頃、サイコロ遊びや色並べなどの、規則があるゲームができるようになった。これは、Aちゃんのおとなしい性格にあっているようだ。一緒に遊ぶ人数が少ないと、うまくいく。

・グループにはよく馴染んでいる。喧嘩をすることは少ない。

 

・「自分が小さい」という認識を固めることなく、そこから抜け出ることを願っている。もうちょっと自信を持って、自分から率先して遊びはじめ、自分の意思を通せるようになってほしい。(教師として)成功体験が増えるような環境も整えていく。

 

朝の会について

Aちゃんにとって、朝の会はとても大事。

動きがある遊びが好き。歌いながら遊ぶことはしない。音楽的。リズム感が良い。トライアングルを叩くのが好き。質問をしたら答えるが、自分から話をしたり、他の子が話している時に「自分も!」ということはあまりない。

 

3-4歳だけの子だけのグループでいるほうがリラックスして、もっと自分を出す。

何をやるにも慎重。絵を描く時や粘土を作る時も、なにかきちんとやりたい、いいものを書きたい、という願望があるよう。他の子がやっていることをよく見ている。何か、いいものを作らなければ、というプレッシャーがあるよう。

 (以下続く)

 

 Aちゃんのことを細かく見ていてくれいて感動。プロだなあ、と。

 

しかし、家ではいつも「自分で!自分で!」と言って何でもやりたがるし、時間が許す限り自分でやらせるようにしてきたので、この幼稚園での態度はびっくり。

 

プレッシャーがある、、というのもびっくり。私全然「これやれあれやれ、こんなふうにぬれ!」なんていうような教育ママじゃないのになー。完璧主義な性格なのかな。パパもオマもそうだしな・・・。遺伝かな。

 

2週間の休暇終了

2週間に渡る雪のないスキー場での滞在を終えて帰ってきました。最後の2日は気温が下がったので、人工雪マシーンが稼働し、その上少し雪が降ったので、そりして遊べたのがせめてもの幸い。子供のために借りたのに、肝心のAちゃんは怖い、寒い、家に帰りたい、、、の連続で乗ってこなかったので、アラフォーの大人3人で遊びました。。。とても楽しかった。

 

帰ってきた次の日は精魂使い尽くした感じで抜け殻・・・。いくら私が気をつかわ(え)ない、他人とわりとのんびり過ごせる人だっていっても、2週間義家族と一緒に狭いホリデーマンションで過ごすのは疲れた。ずーっとほとんどなにをするのも一緒だし。自分の家族ともこんな濃い時間過ごしたことない・・・。って毎年思います。

 

今年はボードゲームの面白さがちょっとわかってきた。ずーっと子供の時からやっている夫と義兄は、裏読みがすごい。自分の手と他人の手とおぼえて、色々戦略を練っている。私なんて、自分の手を考えるので精一杯で、とてもそんなとこまで考えられない。これは子供にはとてもいい思考訓練、コミュニケーション訓練になるね。

 

 

 

 

思い出遠足


チェコに住んでいた時に働いていたKadaňという街が、今いるところから40kmほどだと気付いたので、思い出遠足に行ってきました。

中世の面影がのこる旧市街や修道院のある、こじんまりとした素敵な街です。
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泊まったホテルや、よく食べたレストランに行ったりするうちに、思い出がよみがえってきた。立ち上げたばかりの会社で働いて、いろんな面白い経験をさせてもらったなー。残念ながら会社はチェコから撤退してしまったんだけど。今も深く付き合っている親友に出会ったのもここ。

家族を連れてここにきているのが、とても不思議だった。そんなに前な気もしないのに、その間に日本に帰って、新しい仕事を始めて、彼氏と別れて、今の旦那と出会って、仕事辞めてドイツに来て、子供を産んで、、とものすごくいろんなことが起こってるのよね。全然自分の環境が変わってるのに、同じところに立ってる感覚が不思議だった。

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働いてた会社、、の跡地。


SeifenとAnnaberg-Buchholz

今日は日本にもその名が轟き渡るザイフェンのおもちゃ博物館に行ってきました。なんと軽井沢に姉妹館がある。びっくり。

博物館はおもちゃ産業の歴史を網羅してて、なかなか面白い。地場産業だった鉱業がダメになったので、それに変わるものとして、豊富な木を利用したおもちゃ産業が発達したらしい。
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人形の家

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マッチ箱の家

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うちの近くのKarl-Marx-Alleeのミニチュアもあった。
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子供も遊べるので、大人が展示を見ている間あきなくていい。

ちいさな村だけど、おみやげ屋でいっぱい。今度日本から人が来たら連れてったら喜ばれそうだ。
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そのあとはAnnaberg-Buchholz という町へ。
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ここはこじんまりとした古い町で、クリスマスマーケットが有名なみたい。もう終わってて残念。。

Aちゃんはオマオパが面倒を見てくれるので、博物館や街の見学には最高でした。

エルツ山脈 oberwiesenthal

今年のクリスマス〜新年は、エルツ山脈にあるちいさなスキー場に来ています。。って雪が全然無い!
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私がスキーを好きだし、Aちゃんにもスキーを始めるのにいい時期だろうと、義母が二年近くも前にホリデーマンションを予約してくれて、楽しみにしてたんだけど、、、今年はありえ無いくらい暖冬で、残念無念。二週間もいるのに。

ベルリンから四回も電車乗り換えて、先最後はなんとこんな蒸気機関車に乗ってきました。

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この辺は木彫りのオーナメントやおもちゃが有名なところで、昔ながらの職人仕事をぶらぶら見るのが楽しい。

クリスマスマーケットの飾りも木彫りのピラミッド。
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今日はハイキングをして、そのあと昔のキッチン用具の博物館へ。
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雪は無いけど、ハイキングしたり観光したりして楽しもうっと。



難民をめぐって考えたこと

ドイツに来てからとても感心したことの一つに、暗い過去との向かい方がある。テレビでも新聞でも、未だに折にふれてナチの罪、そこへ至った道筋、現在に通じるところ、などの特集をしているし、首都だということもあって、街中にもそのことについ考えざるを得ない記念碑などが溢れている。語学学校でもそのテーマについて先生がよく持ちだして、議論した。

 

そんなところからドイツの過去に興味を持ち、読んでとても衝撃をうけた本が、「Maus」というコミック。

 

The Complete MAUS

The Complete MAUS

 

 

アメリカ人の作者が、ポーランドユダヤ人としてアウシュビッツに送られた両親の体験談を聞き語りの形で書いているもの。

 この本で私が衝撃を受けたのは、ナチの残虐さ、、、ではなく、その時代の普通の市民の態度。社会から今まで友人、隣人、上司、先生であったはずの人々がどんどん周りから消えていっているのに、非ユダヤ人はおおむね無関心に、その成り行きを見守るだけだったということ。

 

ナチスが現れるまでは、ユダヤ人は社会のそこここに普通にいる存在だった。よく遊んでいた自分の友だち、クラスメート、大学の指導教授、いつも買いに行っていた肉屋のおじさんおばさん、、、そんな普通の隣人。社会を共に構成している人々。そんな人々が次々と消えていったのに、社会の大半は無関心だった。というか「あの人達とは関わるのをやめよう」と自分の保身を最優先させていた。

 

「無関心」がどんな恐ろしいものなのか、「何もしない」ということがどのように悪をはびこさせるのか、、、そんなことを深く考えさせられた。

 

「自分とは関係ない」と思った時、他人がどんなに苦しんでいても、破滅していっても、無関心でいること。それこそが積極的には悪いことはしないけれど、良いこともしない、わたしのような人の中に潜む最大の悪なんじゃないかと。

 

 そんなことがなんとなくいつも心の中にあったのだけど、今回、難民がドイツに急増している中で、「あ、これがその悪をはびこらせる『無関心』なんだ」と思ったことが、残念ながら日本人の友だちと話している時に何度かあった。

 

「友だちの家の近くに難民収容施設ができたんだって。家の価格がそれで下がっちゃったらしいよ(気の毒よね・・・)」

 

(語学学校で難民と一緒になって)「ああいう戦争から逃げてきた人たちって、ほら、ちょっとね・・・」

 

(仕事をさがしたいという話をしている時に)「ドイツって今仕事探すの大変なんじゃない?難民が一杯流れてきているから、、」

 

戦争で何もかもを奪われて、身一つで命からがら危険な思いをしてここまできた人を隣人として受け入れることより、自分が今売る予定もない家の価値が下がることのほうが大事なんだ・・・。そして、戦争から逃げてきたというだけで、人を蔑視できるんだ・・・。そして、難民が一杯来ていることと、ジョブマーケットはとりあえず何にも関係ないんですが、(難民認定されるまで働けない)そんな関連ずけを安易にして、排除する理由にしようとするんだ。。

 

豊かな国になんの問題もなく暮らしている立場の、わたしと同じ日本人から、生活のすべてを戦争で奪われて、危険な思いをしてここまで来た人たちを思いやる気持ちが少しも感じられない発言が続いたことに、なんというか、深い衝撃を受けた。

 

ドイツは今回のヨーロッパへの難民の大量流入を受けて、80万人の受け入れを発表している。そして、その人たちを助けたい、という、一般市民の意思はとても大きい。もちろん例外はあって、極右のデモや放火事件も起こっているけど、わたしの見た所、難民を助けることは人間としての義務だ、自分たちもできることを何かしたい、と思っている人たちの方が圧倒的に多い。実際ボランティアをしている友達も身近に何人もいる。

 

この違いはやっぱり歴史との向かい方から来るのかな、と思う。

普通の市民の無関心が、ユダヤ人、ロマ、同性愛者、障害者の大量虐殺という恐ろしい結果を招いたこと、そのことに対する内省が、市民の中に根付いている。

 

新聞で読んだ話で、こんなのがあった。

(元記事 Flüchtlinge in Berlin - und was tun wir? Ein Essay

義理のお母さん(78)が、突然「養子を迎えたい」という言ってきた。お義母さんはここ何年か難民にボランティアでドイツ語を教えてた。その教え子、37才のシリア人医師を養子に迎えたいと。彼は難民申請がドイツでは通らなく、ハンガリーに送られることになる。それを防ぐために何かしたい、と考えた結果だった。

 

「子どもの時、ユダヤ人に起こったことがいつも頭のどこかにある。見捨てることはできない。何かしなければ」

 

困難な状況へある人たちへの想像力を忘れない。自分のぬくぬくとした世界に閉じこもらない。できることをする。そんな事を心がけていきたい。