難民をめぐって考えたこと
ドイツに来てからとても感心したことの一つに、暗い過去との向かい方がある。テレビでも新聞でも、未だに折にふれてナチの罪、そこへ至った道筋、現在に通じるところ、などの特集をしているし、首都だということもあって、街中にもそのことについ考えざるを得ない記念碑などが溢れている。語学学校でもそのテーマについて先生がよく持ちだして、議論した。
そんなところからドイツの過去に興味を持ち、読んでとても衝撃をうけた本が、「Maus」というコミック。
アメリカ人の作者が、ポーランド系ユダヤ人としてアウシュビッツに送られた両親の体験談を聞き語りの形で書いているもの。
この本で私が衝撃を受けたのは、ナチの残虐さ、、、ではなく、その時代の普通の市民の態度。社会から今まで友人、隣人、上司、先生であったはずの人々がどんどん周りから消えていっているのに、非ユダヤ人はおおむね無関心に、その成り行きを見守るだけだったということ。
ナチスが現れるまでは、ユダヤ人は社会のそこここに普通にいる存在だった。よく遊んでいた自分の友だち、クラスメート、大学の指導教授、いつも買いに行っていた肉屋のおじさんおばさん、、、そんな普通の隣人。社会を共に構成している人々。そんな人々が次々と消えていったのに、社会の大半は無関心だった。というか「あの人達とは関わるのをやめよう」と自分の保身を最優先させていた。
「無関心」がどんな恐ろしいものなのか、「何もしない」ということがどのように悪をはびこさせるのか、、、そんなことを深く考えさせられた。
「自分とは関係ない」と思った時、他人がどんなに苦しんでいても、破滅していっても、無関心でいること。それこそが積極的には悪いことはしないけれど、良いこともしない、わたしのような人の中に潜む最大の悪なんじゃないかと。
そんなことがなんとなくいつも心の中にあったのだけど、今回、難民がドイツに急増している中で、「あ、これがその悪をはびこらせる『無関心』なんだ」と思ったことが、残念ながら日本人の友だちと話している時に何度かあった。
「友だちの家の近くに難民収容施設ができたんだって。家の価格がそれで下がっちゃったらしいよ(気の毒よね・・・)」
(語学学校で難民と一緒になって)「ああいう戦争から逃げてきた人たちって、ほら、ちょっとね・・・」
(仕事をさがしたいという話をしている時に)「ドイツって今仕事探すの大変なんじゃない?難民が一杯流れてきているから、、」
戦争で何もかもを奪われて、身一つで命からがら危険な思いをしてここまできた人を隣人として受け入れることより、自分が今売る予定もない家の価値が下がることのほうが大事なんだ・・・。そして、戦争から逃げてきたというだけで、人を蔑視できるんだ・・・。そして、難民が一杯来ていることと、ジョブマーケットはとりあえず何にも関係ないんですが、(難民認定されるまで働けない)そんな関連ずけを安易にして、排除する理由にしようとするんだ。。
豊かな国になんの問題もなく暮らしている立場の、わたしと同じ日本人から、生活のすべてを戦争で奪われて、危険な思いをしてここまで来た人たちを思いやる気持ちが少しも感じられない発言が続いたことに、なんというか、深い衝撃を受けた。
ドイツは今回のヨーロッパへの難民の大量流入を受けて、80万人の受け入れを発表している。そして、その人たちを助けたい、という、一般市民の意思はとても大きい。もちろん例外はあって、極右のデモや放火事件も起こっているけど、わたしの見た所、難民を助けることは人間としての義務だ、自分たちもできることを何かしたい、と思っている人たちの方が圧倒的に多い。実際ボランティアをしている友達も身近に何人もいる。
この違いはやっぱり歴史との向かい方から来るのかな、と思う。
普通の市民の無関心が、ユダヤ人、ロマ、同性愛者、障害者の大量虐殺という恐ろしい結果を招いたこと、そのことに対する内省が、市民の中に根付いている。
新聞で読んだ話で、こんなのがあった。
(元記事 Flüchtlinge in Berlin - und was tun wir? Ein Essay)
義理のお母さん(78)が、突然「養子を迎えたい」という言ってきた。お義母さんはここ何年か難民にボランティアでドイツ語を教えてた。その教え子、37才のシリア人医師を養子に迎えたいと。彼は難民申請がドイツでは通らなく、ハンガリーに送られることになる。それを防ぐために何かしたい、と考えた結果だった。
「子どもの時、ユダヤ人に起こったことがいつも頭のどこかにある。見捨てることはできない。何かしなければ」
困難な状況へある人たちへの想像力を忘れない。自分のぬくぬくとした世界に閉じこもらない。できることをする。そんな事を心がけていきたい。
カヤック
セレ
軍事歴史博物館
ドイツのすごいなと思うところ①難民受け入れについて
最近の中東情勢の混乱から、ものすごい数の難民がヨーロッパに逃げてきています。ドイツの国境の街には毎日300人から400人もの難民が到着していて、昨年と今年8月までで、計50万人ほどの人が難民申請をしています。
50万人ったら、杉並区一個分です。中規模都市一個分。新聞やニュースで、受け入れ体制や施設の問題とか、難民申請の難しさとかなどの話を聞かない日はありません。
すごいな、と思うのは、まずそれだけの数の人を受け入れて、住居と食事を与える、というのをドイツ全国に振り分けて行っていること。
それだけ受け入れるとやはり不満を持つ人も出てきて、特に旧東ドイツの田舎なんかで、反難民受け入れデモやら難民宿舎予定地が燃やされたりとか、そんな問題が起きてはいるんだけど、そういう心の狭さとか、外国人憎悪は許されない、恥ずべきことである、という意識が大半の国民にはあること。
ZDFなどの公共ニュースを見ていても、戦地の酷さ、どんな困難をくぐり抜けて難民はここまで来ているのか、助けるために私達はなにができるのか、寛容がいかに大事か、難民に対する不安は大半は根拠がないこと」などの論点に焦点があたっています。
ママ友と話していても、普通に「こんど難民施設に子供服を寄付しにいくけど、何か持っていくものある?」なんて話題が出てくる。
自分の国だけが良ければいいんじゃなくて、困った人を助けよう、という精神を感じるこの国に住んでてよかった、、、と心から思います。
ひるがえって、例えばアジアで大規模な紛争が起きた時に、日本がそれだけの人を助けるだけの度量があるかっていったら、、、ないですね。2014年は5000人の申請に対して、認定数、11人・・・。そんな閉じた国なのに、「難民申請 日本」で調べたら、出てきた記事が「仮想難民」の「横行」。。。あーやだやだ。